ムスリムとは、アッラーに意識的に従う人びとを意味します。そして日本におけるムスリムの役割は、大きく2つに分類することができます。1つ目は、自分自身の行動に関する役割で、2つ目は非信者(ノンムスリム)との関係における役割です。1つ目のムスリム自身の行動については、ムスリム社会に住んでいようと日本に住んでいようと義務やハラームは同じです。例えば、アッラーの唯一性を信じること、ムスリムは毎日5回のサラート(礼拝)が義務です。マスジドが近くになくても、オフィスや学校や自宅でサラートができます。またザカート、ラマダーン月中の断食、メッカ巡礼の義務もあります。多神の信仰はどこに住んでいてもハラーム(4章48節)です。飲酒もハラーム(5章90節)で、日本に住んでいるからといって飲んでも大丈夫とはなりません。不倫もハラームです。そしてムスリムが義務を怠たり、ハラームを犯すのは、自己責任です。アッラーのせいではありません。なぜなら人間には自由意志があるからです。クルアーン3章117節には、「アッラーはかれらを損ないませんでした。でもかれらが自分自身を損なったのです」とあります。アッラーは人間に自分でよく考えるように多くの預言者を遣わし、多くの啓示を下したのです。
2つ目は非信者との関係で、さらに3つに分類されます。1つ目は非信者との一般的な関係、2つ目は非信者との特別な関係(婚姻)、3つ目はダッワ(布教)です。非信者との一般的な関係について、非信者だからだましてもかまわないと考えている人たちがいます。これは絶対いけません。非信者がムスリムと戦わず、家からも追放しない場合は、ムスリムは非信者にも公正かつ親切に接しなくてはいけません(60章8節)。アッラーは非信者をだます許可を与えません。
さらに、ムスリムは非信者から嫌がらせをされても、広い心で接する必要があります。例えば、マスジドで排尿したアラブ遊牧民のハディースは有名です。預言者ムハンマドは、怒る教友たちを制止して、水で洗い流しなさいと命じました(ブハーリー6025)。別のハディースでは、ムジャーヒドの伝承によると、アブドゥッラー・イブン・アムルが家族のために羊を屠畜したとき、かれに対して、一部を隣人のユダヤ教徒に与えましたか?と言いました。私はアッラーの使徒がこう言ったのを聞きました。天使ジブリールが隣人に対して親切に丁寧に扱うよう私に命じ、それはまるで彼らを相続人にしろとのアッラーからの命令のように思えたほどでしたと(ティルミズィー1943:サヒーフ)あります。
非信者との特別な関係(婚姻)については、第2章221節に明言されています。「多神教の女性たちとは、かの女たちが信者になるまで結婚してはいけません。多神教の女性があなたがたをとりこにするかもしれませんが、信仰のある奴隷の女性の方が(多神教の女性よりも)善いのです。また多神教の男性たちが信者になるまで、あなたがた(信者)の女性たちをかれら(多神教の男性)に嫁がせてはいけません。多神教の男性があなたがたをとりこにするかもしれませんが、信仰のある奴隷の男性の方が(多神教の男性よりも)善いのです」
最後はダッワです。つまり非信者に対するイスラームへの招待です。イスラームとは何か?なぜムスリムは豚肉を食べないのか?なぜお酒を飲まないのか?など日本においては質問が多くあると思います。そのときに必要なことは良い態度と日本語によるイスラームの知識です。クルアーンの16章125節には「英知と良い話し方で、あなたの主の道に招待しなさい。最善の態度でかれらと論議しなさい」とあります。33章46節において預言者は「アッラーに人びとを招く人(ダーイヤン・イラッラー)」と記されています。預言者伝によると、預言者は現地の人びとをよく把握し、かれらの感情や希望、個人の性格に注目し、かれらを尊重し、良い関係を築き、親密さを増すように努力したことがわかります。たくさんの使節団がマディーナに来た時には大いにもてなし、帰る時には各人にお土産を持たせ、かれらの故郷においてイスラームを伝えるように要請したと言われています。