宇宙の起源と人類の起源をめぐって
1983年にテキサス工科大学の古生物学者シャンカール・チャタジーはProtoavisプロトアビスという鳥類の化石を見つけました。これは始祖鳥よりも7000万年前の化石で、最初の恐竜と同時期に鳥が生きていたことがわかったのです。つまり恐竜から鳥に進化したという話は間違いであったことが判明したのです。ある人はこう言います。ならば鳥が進化して恐竜になったと。しかし、進化したはずの恐竜が絶滅して、進化前の鳥類はまだ今も生存しているのはなぜでしょうか?また魚類から両生類に進化したという話があります。魚のヒレが足になったという話です。でも実際の化石は、両生類の化石の方が魚類よりも下の地層から見つかっているのです。
進化論の内容には論理的不整合があります。キリンの自然淘汰について考えてみましょう。
自然淘汰とは生存していることと同じ意味です。キリンは今も生存しているからこそ、首が長いのは高いものを食べるために適応したのだと事後的に言えるだけです。それは同時に、初めからキリンは首が長くして生存しいたのだということも言えるわけです。高いところにあるものを食べるのであれば、木を登れる特殊な足が発達してもよかったわけです。首が長くなくても生き残っている動物はたくさんいます。でもなぜ首が長くなったのか?これに科学者は答えられません。これは科学で扱える範疇にないからのです。実際、キリンはある時期の地層からすでに首の長い化石で発掘されています。
生物学者のトーマス・ハクスリーは「種における大規模な変化は何千万年もかかって起こり、その中でも本当に大規模なものは1億年程度かかる」と述べています。しかし、人間はわずか600万年の間に数回の大きな突然変異をしているのです。
例えば、20万年前に出てきたとされるホモサピエンスは、突如として現われ、脳の容量は1400ccで北京原人より50%増しています。北京原人は言語をもちません。脳の容量は950ccしかなく、ホモサピエンスの競合相手という感じではありません。大規模な進化は何千万年もかかる進化論に反しています。北京原人とホモサピエンスの中間の生物の骨は発見されていません。フランスのセザール島の洞窟から発見されたものから、ネアンデルタール人とクロマニヨン人が戦うことなく、互いに近いところで何千年もくらしてきたことがわかっています。
美しい着物を見たときそれがある日偶然に出来上がったと思う人はいません。では、同様に美しい孔雀の模様を見たとき、それがなぜ偶然に出来上がったと考えるのでしょうか?偶然とはやみくもに進む力です。わけのわからない、行き当たりばったりの、そんな盲目的な力に、多種多様で高度なシステムからなる生物界を生みだす力はありません。だから、創造主はいると考えられるのです。