タウヒードとシルクについて

タウヒードとシルクについて

タウヒードには3つの要素があります。

1)ルブービーヤ、2)ウルーヒーヤ、3)アスマー・ワ・スィファー

1)ルブービーヤ(ラッブ:神の行為をする存在:創造や養育など)

アッラーが全てのものの唯一の主であり、所有者であること。善や悪も害や益も全てアッラーからのものであり、かれが唯一の創造主であり、かれが全世界の唯一の管理者であること。人間はその天性によって、またこの世を注意深く観察することによって、タウヒード・アッ=ルブービーヤを認めることができます。しかしタウヒード・アッ=ルブービーヤを認めるだけでは、アッラーへの信仰とその懲罰からの救いにまでは至りません。というのもそれは、イブリース(悪魔)やムシュリク(偽信者)たちすらも認めていたことなのです。無明時代にも人々は創造主としてのアッラーを信じていましたが、他に多神も崇拝していました。

かれは全てを包囲される御方であり、全ての事柄を適切に定める御方であり、全てのものを支配する御方であり、全てのものの所有者であられる唯一なる御方です。「大権を掌握なされる方に祝福あれ。本当にかれは全てのことに全能である」(67章1節)

2)ウルーヒーヤ(イラー:崇拝される存在):ラーイラーハ・イッラーッラー

アッラーのみが崇拝されるにふさわしい唯一の方であり、そこにおいてかれに並ぶものは存在しないこと。かれの他に崇拝されるもの全てのものは虚無であること。ドゥアー(祈願)やサラー(礼拝)、畏怖や願望などあらゆるイバーダ(崇拝行為)においてアッラーのみを対象とすることです。タワックル(身を完全に委ねること)や畏怖や願望の念、また犠牲や誓いなどあらゆるイバーダ(崇拝行為)はただアッラーに対してのみ向けられなければならず、何か別のものに逸らせてはならないということ。そしてイバーダ(崇拝行為)をアッラー以外の何ものかに対して向ける者は、ムシュリク であり不信仰者であるということ。「そして(その正当性に)何の論拠もない他の神をアッラーに並べて祈願する者の報いは、かれの主(アッラーのこと)の御許にある。本当に不信仰者たちには勝利はない」(23章117節)ウルーヒーヤはルブービーヤを必須条件とします。つまりアッラーのみを崇拝し、かれに何ものをも並べない者は、アッラーが彼の主であり、創造主であり、支配者であることを既に確信していることになるのです。

ルブービーヤとウルーヒーヤはその意味が異ります。つまり前者の語根である「アッ=ラッブ(主)」は養育者、所有者、支配者という意味ですが、後者の語根「アル=イラー(崇拝される存在)」は、真に崇拝される権利を有する唯一のもの、という意味です。言いなさい。「御加護を請い願う。人々のラッブ(主)、人々の王、人々のイラーに」(クルアーン114:1-3)

ジャービルは言いました:「預言者のもとに男がやって来て、言いました。アッラーの使徒よ、2つの確実なことは何か?」すると預言者は言いました:アッラーと共にいかなるものも並べずに死んだ者は天国へ入り、アッラーに何ものかを並べて死んだ者は地獄に入るということだ」(ムスリムの伝承)93

アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アースによると、アッラーの使徒は言いました。「アッラーの預言者であるヌーフは、彼の死期が近づいた時に息子に言った。私はお前に遺言を伝える。私はお前に2つのことを命じ、2つのことを禁じよう。私はお前に、アッラー以外に崇拝すべきものはなしの言葉を命じる。本当に7層の天と7層の大地が秤の一方に置かれ、もう一方にアッラー以外に崇拝すべきものはなしの言葉が置かれたとしても、アッラー以外に崇拝すべきものはなしの言葉の方が重いのである。また、崇高なるアッラー、かれを称えますという言葉である。実にそれはすべての祈願であり、それによって被造物は糧を得る。そして私はお前にシルクと傲慢さを禁じる」(アル=ブハーリーの伝承)

タウヒードの対義語がシルクである。つまりシルクとは、アッラーに対し、ルブービーヤ、ウルーヒーヤ、アッラーの美名と特性において同位者や関与者をおくことです。そして審判の日にムシュリクとしてアッラーに会うことになれば、アッラーはその人物を赦しません(4章48節、4章116節)

ムスリムは自分に限ってシルクを犯すことなどないと思っているかもしれません。でもムスリムは必ず大きなチャレンジに直面します。

アッラーに対してシルクを犯すことは、最大の罪悪です。アッラー以外のものを崇拝するものはイバーダ(崇拝行為)を間違った形で行い、それを本来ささげるべき御方以外のものに捧げているからです。

アブー・バクルは伝えています:「預言者はこう3回繰り返し言いました:大罪の内でも最大のものを教えようか?(人びとは)言いました:はい、アッラーの使徒よ。(預言者は)言いました;アッラーに対してシルクを犯すこと、そして親不孝だ。そして(預言者は)座ると、寄りかかってこう言いました:そして嘘である」(アブー・バクルは)言いました(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

シャイターン(悪魔)を崇拝することは、シルクと不信仰へと導く法・制度に従うということです。アッラーは、この人類の敵に対して、次の御言葉で私たちに警告なされています。アーダムの子孫よ、悪魔に仕えてはならないと、われはあなたがたに命令しなかったか。かれはあなたがたの公然の敵である。アーダムの子孫よ、悪魔に仕えてはならないと、われはあなたがたに命令しなかったか。かれはあなたがたの公然の敵である。あなたがたはわれに仕えなさい。それこそ正しい道である。(クルアーン36:60-61)

シルクとはイバーダ(崇拝行為)そのもの、あるいはその一部をアッラー以外のものに捧げることを意味します。例としては死人やジン(霊的存在)、シャイターン(悪魔)など、アッラー以外の何ものかにドゥアー(祈願)したり、誓いを立てたりすることや、アッラー以外にはその権能を有しないものに富の獲得や病からの治癒、あるいは必要事や雨天の到来などを頼んだりすることが挙げられます。無知な者たちは、聖者や正しく偉大であった人物の墓や、または木や石などからできた偶像に対してこれらのことを行います。

②タワックル(自らの身を完全に委ねること)におけるシルク:全ての事柄と状況においてアッラーにタワックルすることは、アッラーのみに対して純粋な形で行わなければならない、最も偉大なイバーダ(崇拝行為)の1つです。それゆえ、アッラーのみが権能を有されるもの-つまり害悪の駆除や利益、糧の獲得など-において、アッラーを差し置いて死者や不在者などにタワックルする者は大シルクを犯していることになります。至高なるアッラーはこう仰せられています:そしてあなた方が信仰者であるのなら、アッラーにこそタワックルするのだ。(クルアーン5:23)

「ターグート」はアッラー以外に崇拝されるあらゆるもの。本当にわれら(アッラー)は、各々の民に使徒を遣わして、「アッラーを崇拝し、ターグートを避けなさい」と命じた(16章36節)

ターグートとは、偶像などのような崇拝の対象であれ、占い師やえせ学者などのように人びとが依拠・追従する人たちであれ、あるいはアッラーへの服従から逸脱した王族、官僚や首長などの支配層たちであれ、アッラーのしもべがそれらにおいてタウヒード信仰の規範を超えてしまっている全ての対象を指す。

ターグートの代表的なものは5種類です:

①イブリース(悪魔)

②崇拝され、そうされることに満足する者

③人びとを自らの崇拝へといざなう者

④不可知の領域に関する知識を有すると主張する者

⑤アッラーが啓示されたもの(イスラーム法規定)以外のもので裁く者

「アッラーは信仰する者の守護者で、暗黒の深みから、かれらを光明の中に導かれる。信仰しない者は、邪神〔ターグート〕がその守護者で、かれらを光明から暗黒の深みに導く。かれらは地獄の火の住人である。永遠にその中に住む」(2章257節)

アブーフライラが伝えたところによると、アッラーの使徒は言われた:アッラーの影の他には影がないその(審判の)日、かれは(次の)7人をご自分の影に入れる。公正なイマーム、アッラーを信仰する中で成長した青年、マスジドに心がつながっている人、アッラーのために互いを愛し、アッラーのために集い、そしてかれのために分かれる2人、1人きりでアッラーを想い、両目から涙が溢れる人、地位と美貌を持つ女性に声を掛けられても「私はアッラーを恐れる」と言う人、左手が右手の行なった施しに気付かないほどに隠れて施しを行なう人である(ティルミズィー2391)

3)アスマー・ワ・スィファー

アッラーのみが究極の属性を有し、あらゆる短所や欠陥から無縁で完璧であること(20章8節)

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