創造主は本当に唯一なの?

Originally posted 2019-12-25 07:51:46.

創造主は本当に唯一なの?

言いなさい、「かれはアッラー、唯一なり。アッラーは自存され、御産みなさらないし、御産れになられたのではない、かれに比べ得る何ものもない」(聖クルアーン 112章1-4節)

  1. 創造主は被創造物と異なる?

創造主は宇宙の複雑な法則やシステム、惑星もつくりあげました。一方、私たち人間はハエを一匹としてつくることはできません。例えば、私たちが机や椅子をつくっても、私たち自身が机や椅子になる必要はありません。同様に、宇宙の創造主は、被創造物の宇宙、自然や人間になる必要はありません。「創造主を創造したのは誰?」と聞かれれば、無限後退の罠に陥ります。つまり、創造主には、別の創造主が必要となります。その別の創造主には、また別の創造主が必要となり、永遠に創造がはじまらないことになります。

  1. 無限後退の創造主はいる?

「神の存在証明」のキーワードをWikipediaで調べてみると、次のように記されています。

「中世哲学で、「宇宙論的証明」と呼ばれる神の存在証明の論証手順は、古代ギリシアのアリストテレスに遡る。事物や出来事には、全て「原因」と「結果」があると考えたのはアリストテレスである。従って、神の宇宙論的証明は、アリストテレスがすでに行っていた。中世スコラ哲学は、13世紀の「アリストテレス・ルネッサンス」の言葉で知られるように、アラビア・スコラ哲学を介して、古代ギリシアの哲学者、とりわけアリストテレスの思想を取り入れたところで成立したとも言える。トマス・アクィナスは、アリストテレスの根本の原因者の概念を、キリスト教の神に当て嵌めて、この証明を行った。全ての事物や出来事には、必ず原因があり結果がある。これは原因とか結果の概念は何かを考えれば、必然的に妥当な命題である。ところで、宇宙には、運動している物体がある。物体が運動するには、何か原因がなければならない。原因となった出来事が存在して、初めてこの宇宙での物体の運動という出来事は説明される。そこで、原因となった出来事を考えると、この出来事にもまた原因がなければならない。こうして考えると、出来事の「原因」の序列は、より根本的な原因へと遡行して行くことになる。しかし、この過程は「無限」ではないはずである。宇宙には「始まり」があったのであれば、原因が無限に遡行するというのはおかしい。それ故、一切の運動には、原初の根源原因があるはずであり、出来事の因果は、この根源原因よりも先には遡らない。これこそ「神」であり、宇宙に運動があり、出来事があるということは、その根源原因である「神の存在」を自明的に証明している。この証明に対し、出来事の原因と結果は、必ずしも一対一ではないという考えがある。原因は1つとは限らないし、結果も1つとは限らない。しかし、原因が仮に非常に多数あったとしても、それらの多数の原因となる出来事の原因を尋ねて行けば、やはり、根源の宇宙の初原の原因に辿り着かざるを得ない。この初原の原因が、すなわち神である。あるいは、神の世界創造を否定して、宇宙の時間は無限にあるなどという議論も可能かも知れない。原因は無限に遡行して、根源の原因には辿り着かないという可能性である。しかし、我々の世界はそもそも「有限の世界」であり、宇宙が無限だというのなら、そのような宇宙は、この世界に対し超越的であり、超自然である。もし無限の宇宙があるなら、それこそ神の存在の明証である。このような論証を、「神の宇宙論的証明」と言う」

C.    唯一性

被創造物の中にある秩序こそが、創造主の唯一性の証拠です。例えば、会社に2人の社長がいれば、早晩、両者の意見がぶつかり混乱を招いてしまうことでしょう。ギリシャ神話の神々も、互いに戦っていたと言い伝えられています。

他方、宇宙のすべてが秩序通りに動いています。これは創造主が唯一であることを証明しています。アッラーはクルアーンでこう述べています。

「もし、その(天地の)間にアッラー以外の神々があったならば、それらはきっと混乱したであろう。それで玉座の主、かれらが唱えるものの上に(高くいます)アッラーを讃えなさい」(聖クルアーン 21章22節)

結論

被創造物の中には秩序があり、秩序を保つために創造主は唯一である必要があります。

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