預言者ムハンマド最後の説教

Originally posted 2020-02-03 06:08:26.

西暦632年、預言者ムハンマドは

メッカ巡礼のときに、アラファにおいて最後のフトバ説教を行ないました。

 

そしてこの説教が行なわれた「別れの巡礼」には、

多くのムスリムが預言者に同行していました。

 

この説教の内容は今でもあせることなく、

神の全人類に対する、そして人類のお互いに対する

最も重要な権利の一部について触れられています。

 

預言者ムハンマドは最後の説教で、

アッラーを称賛し、そしてアッラーに感謝した後、

こう言われました:

 

「人びとよ、よく聴きなさい。というのも私はこの年以降、

再びあなた方と共にいられるかどうか分からないのですから。

 

ゆえに私の言うことを注意深く聴き、

この言葉を今日この場にいない者へと伝えるのです。

 

人々よ、あなた方がこの月、この日、

この町(メッカ)を禁忌があると見なすように、

 

全ムスリムの生命と財産は(互いに)禁忌のある信託なのです。

 

あなた方が託された品物は、

その正当なる所有者へと返しなさい。

 

またあなた方が害されないよう、他人を害してはなりません。

 

あなた方が主アッラーに会うこと、そしてアッラーがあなた方の行ないを

全て記録していることを思い出しなさい。

 

またアッラーは、あなた方が利子(リバー)を取ることを禁じました。

ゆえに利子を伴う全ての義務は今後、あなた方の元本を除いて放棄されます。

 

あなた方は他人を害することもありませんし、

不公平を被ることもありません。

アッラーは利子の撤廃を定められ、

そしてアブドルムッタリブに関する

全ての利子も今後、撤廃されるのです。

 

あなた方は宗教を守るため、悪魔に注意しなさい。

かれは、大きなことにおいてはあなた方を迷わせる

ことができないと絶望しています。だから小さなことにおいて、

悪魔に従うことに気をつけなさい。

 

人びとよ、あなた方があなた方の女性に対し、

ある権利を有しているのは確かですが、

彼女らもまたあなた方に対する権利を有しているのです。

 

アッラーの信託とお許しの下に、あなた方が、その妻を

自分のものにしたことを思い出すのです。

彼女らがあなた方の権利を守る限り、

彼女らには、親切に、衣食を与えられる権利があります。

 

あなた方の伴侶であり、献身的な援助者である女性に対し、

よく接し、親切にしなさい。また彼女らが貞節を守り、

あなた方の望まない、どんな人とも仲良くしないことは、

あなた方の彼女らに対する権利です。

 

人びとよ、誠実に私に耳を傾けなさい。アッラーを崇拝し、

毎日5回の礼拝とラマダーン月の断食を行ない、

定めの施しを支払い、もし出来るならメッカ巡礼を行なうのです。

 

全人類はアダムとイブの子孫です。

アラブ人が非アラブ人に優ることはなく、

非アラブ人がアラブ人に優ることはなく、

白人が黒人に優ることはなく、

黒人が白人に優ることもありません。

敬虔さと善行を除けば、誰かが誰かに優る、

ということはないのです。

 

全てのムスリムは全ムスリムの同胞であり、

ムスリムが1つの同胞愛を構成していることを知りなさい。

無料かつ自ら与えられたものではない限り、

ムスリムの同胞に属するものは、あなた方に非合法です。

そしてあなた方自身に不正を働いてはなりません。

 

思い出しなさい。いつかあなた方は自らの行ないと共に、

アッラーの前に立つのです。だから注意しなさい。

私が去った後、正しい道を見失ってはなりません。

 

人びとよ、私の後には預言者も使徒も来ません。

 

また新たな信仰もありません。だから人々よ、

私が伝える言葉をよく理解するのです。

 

私は私の背後に2つのものを残します:

それらはクルアーンと私のスンナです。

それらに従う限りあなた方が迷い去ることはないでしょう。

 

私の言葉を聞いた全ての者は、それをまた別の者に伝えなさい

もしかすると後者の方が、

私から直接聞いた者よりも、私の言葉をよく理解するかもしれないのです。

 

アッラーよ、私があなたのメッセージをあなたの民に伝えたことにおける、

私の証人であれ。」と言われたのです。

 

こうして預言者ムハンマドは、

彼の最後の説教を締めくくりました。ポイントとしては8つありました。

 

  • 借りたものを返しなさい

 

  • 他人に害を与えない:経済的取引においての害

 

  • 悪魔に注意すること:アッラーは人間だけでなくジンも創造しました。一緒にこの地上で生活する以外に選択肢はない。

 

  • 女性の権利:今から1400年前に女性の権利が明確に言われています。

 

私たちの日常生活の問題のほとんどは、財産の問題と家族の問題に集約される

 

  • イスラームの5行

 

  • 人類は神の前で皆平等

 

49:13

人びとよ、われらはひとりの男とひとりの女からあなた方を創り、様々な種族と部族に分けました。それはあなた方が、互いに知り合いになるためです。アッラーの御元で最も貴い人は、あなた方の中、最も(アッラーを)意識する人です。確かにアッラーは、全知にして、あらゆることをお見通しなのです。

 

  • ムハンマドで預言者も使徒も最後

 

1つの神、1つの宗教、1つの人類、たくさんの預言者

33:40

ムハンマドは、あなた方の男たちの誰の父親でもありません。しかしアッラーの使徒であり、また預言者たちの封印です。アッラーはすべてのことをご存知なのです。

 

  • クルアーンとスンナの重要性:

 

そしてこのフトバに関し、アラファ山頂で次の啓示が下ったのです:

クルアーン5章3節「…この日、われら(アッラー)はあなた方のためにあなた方の宗教を完璧にした。そしてわれらの恩恵をあなた方に完遂し、イスラームをあなた方の宗教として選んだのです」

 

私たちが今こうして存在しているのは、アッラーがそう願われたからです。

 

私たちはアッラーによって、そしてアッラーのために造られました。

このことが理解できるまでは、人生は決して意味を持ちません。

 

人生とは、アッラーの目的のために私たち自身を用いていただくことであって、アッラーを私たちの目的のために利用することではないのです。

クルアーン(6章162節)曰く、「わたしの礼拝と犠牲、わたしの生と死は、すべての世界の主、アッラーのためです」

 

アーダムとハッワ以降、

私たちがなぜこの地上に存在しているのかを知りたければ、

まず私たちを造ったアッラーから始めなければなりません。

私たちはアッラーの目的に従って、

しかもその目的のために私たちは生まれたからです。

 

人生の目的というテーマは、何千年にも渡って人々の悩みの種となってきました。その理由は多くの場合、私たちが誤った出発点、

すなわち「自分」から出発してしまうことによります。

 

しかし、自分の中心にして考えていても最後には気づくのです。

結局アッラーの元に戻るのです。

 

では、アッラーに戻ることは人間にとって

どのような意味があるのでしょうか?

 

1つ目は、魂の救済、つまり来世で天国に入ることです。

そして地獄を避けることです。

 

悪行をしても善行で帳消しになるので、

イスラームでは非常に天国へ行きやすくなっています。

 

2つ目は、生き方の軸が確立する:善悪の区別がつくことです。

 

人生は悩みの連続、迷いの連続だと思います。

どのようにしたら仕事がうまくいくか、もっとお客様が増えるか迷う。

 

確かに経済的な富、社会的な名声、

人々の信頼を得れば、生活も快適になります。

豊かであれば、問題も緩和されやすいでしょう。

 

ただしそれも長くは続きません。ある日突然死がやってくるからです。

 

でも死を前にすれば人間は真に見つめざるをえないのです。

死を前にしたときに、人生とは、成功哲学が述べているような

内容などとはまったく異なることを知ります。

 

人生において何を真に学び、何を真に実践するかを真に知ることになる。

死を前にするお年寄りが成功哲学など本気で学ぶでしょうか?

 

3つ目は、心の支え、安心、孤独感からの解放、ストレスの軽減があります。

 

この世は不安と苦に満ちています。人間自身の中に、

抜きがたい愚かさが潜んでもいます。

 

自分が得られてそれで満足すれば良いのですが、

今度は自分だけが得たいと望みはじめます。

 

成功して優越感を持つと、今度は他の人々を見下すようになります。

 

嫉妬、強欲、独占欲、ひがみ、妬み、いじわる、など

どれほど科学が発達しようと人間には抜きがたい性質を持ちます。

 

富が増えて、与えられても、なかなか感謝しない。

 

感謝:シュクル、反対が「クフル」忘恩である

 

さらにイスラームは、人類皆兄弟であるという安心感を与える。

人類は他の人や国に勝つことを最上の目的にしているわけではなく、

人間1人1人がつながってしていることを教えます。アーダムの子孫

 

貧富の差はある。知的レベルも異なる。

容姿も異なる。考え方も異なる。真剣さも異なるが、

1人1人がその程度に応じてこのアッラーと向かい合います。

 

そして同じ人間としてこの世に生をもたらされたこと。

同じ時代にもたらされたこと。共に生きていくこと。

苦労も共有すれば楽しくなること。

それらのことをイスラームは教えているのです。

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